天草パールライン
上天草・キリシタンと天草四郎
天草松島は、美しい夕景でも知られており「日本の夕陽百選」にも選ばれています。※写真をクリックすると高画質の写真が御覧になれます。
天草松原正覚寺キリシタンが植えたナギの木松島
春には植林桜と自生の山桜が咲き乱れ、千巌山からの眺めは一年を通じて訪れる人々を楽しませてくれます。また、寛永14年(1637年)天草・島原の乱勃発時、総大将天草四郎時貞がこの山頂で出陣の祝宴を張り杓子で酒を酌み交わしたと伝えられ、以前は手杓子山と呼ばれていました。
キリシタン布教の中心であった「南蛮寺」。キリシタン教会の跡地にこの正覚寺が建立された。南蛮寺は天正17年(1589年)上津浦城主ホクロン殿が建立。最盛期には3,500人を超す人が上津浦城主の庇護のもとにキリシタンへ帰依し、南蛮文化の華が咲き乱れた。しかし、南蛮寺は弾圧のため破壊され、天草・島原の乱(1637年)後、仏教布教のために正覚寺を建立することとなった。
南蛮文化とキリスト教伝来の様子を映像などのメディアと資料で紹介する歴史テーマ館。天草四郎を中心とした天草島原の乱は、自由平等を求めた戦いであったことを今に伝える立体映画やジオラマは、見る人の心を打つ。
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天草の旅
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