北原天満宮の社伝によると、955年旧暦の正月25日、英比の土豪 菅原雅規公(幼名英比麿)は90年太宰府で没した祖父菅原道真公を祭神として、英比麿と呼ばれていたころの住居跡に、神社を建てたと伝えられている。1872年明治政府は、社寺合併の方針を全国の県に布告したが、北原天満宮は、白沢地内にあった他の5社より2年遅れて、1878年6月白沢字北根の八幡社に移され合祀された。しかし、天満宮を1日も早く元の場所でお祭りしたいとの願いは、村民の間にいつまでも残っていた。1933年現境内の南西隅に、本殿跡地であったとの石碑や筆塚・牛像などを設置し、跡地の保存に努めたのも、その心情の表れであった。1988)年10月2日、整備拡大された跡地に、現在の社殿を建立し、遷座の式が挙行された。かねてからの願望がかなえられた地域の人たちの喜びと、学問の神を敬慕する心は、境内にある数々の寄進物などからも伺い知ることができる。また、植えられている梅の木々の中には、菅原家の後裔、久松家・松平家の子孫や道真公の側近であった味酒家の子孫の手植えのものもある。 |