世界遺産写真集


プラハ歴史地区


ヴルタヴァ川のほとりにある古都プラハは、ボヘミア王国の王宮が置かれたことから繁栄しました。ロマネスクからアールヌーヴォーまであらゆる建築様式をみることができるプラハはヨーロッパ中で最も中世の雰囲気を感じられる町として世界中の観光客の人気ワールドクルーズ集めている。
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 世界遺産名

プラハ歴史地区(登録:1992年、文化遺産)

 場所(国名) プラハ(チェコ)
概    要 プラハ市街中心部、ヴルタヴァ川の東岸に位置する旧市街から南の新市街。

チェスキー・クルムロフ歴史地区


チェスキー・クルムロフはボヘミアの深い森に守られて、中世から姿を変えることなくいまに伝わった。その街並みはまるで花束。ボヘミアの深緑の中、ブルタヴァ川は「Ω」型に輝いて、屋根のオレンジ、壁の白、ピンク、黄、青が咲いている。人々はあまりの美しさに、この街を「眠れる森の美女」と呼んだ。
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 世界遺産名

チェスキー・クルムロフ歴史地区(登録:1992年、文化遺産)

 場所(国名) チェスキー・クルムロ(チェコ)
概    要 チェコ・南簿へニアの小さな都市。クルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財。

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通


「ドナウの真珠」と讃えられる美しい町。ドナウ川が町の中央を南北に流れる。西岸のブダは王宮を中心に歴史的建造物が多く、東岸のペストは近代的な美しい街並みが広がっている。
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 世界遺産名

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り(登録:1987年・2002年、文化遺産)

 場所(国名) ブタペスト(ハンガリー)
概    要 ドナウ川両岸の歴史地区、そして大陸ヨーロッパ初の地下鉄が通るアンドラーシ通りが対象となっている。

シェーンブルン宮殿と庭園群


シェーンブルン宮殿は、1695年レオポルド1世が夏の離宮としてハプスブルク家の狩猟の森に建てた宮殿です。フィッシャー・フォン・エアラッハ設計のバロック様式でした。マリア・テレジアはこの宮殿を居城にすることに決めて、ピンクの壁をイエローに塗り替え内装はロココ様式に統一するなどの増改築をおこないました。
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 世界遺産名 シェーンブルン宮殿と庭園群(登録:1996年、文化遺産)
 場所(国名) ウィーン(オーストリア)
概    要 ハプスブルグ王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。

ベルヴェデーレ宮殿(ウィーン歴史地区)


ナポレオンが「世界が生んだ7人の軍事的天才の1人」と呼んだプリンツ・オイゲンの夏の離宮。大きな噴水と植え込み、池を配した広大な庭園内に、壮麗なバロック様式の上宮と下宮から成る2つの宮殿があり、思わず写真を撮らずにはいられないほど美しい。現在はオーストリア国内で2番目に大きな美術館となるオーストリー(オーストリア)絵画館となっており、クリムトやシーレの作品が展示されている。
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 世界遺産名 ウィーン歴史地区(登録:2001年、文化遺産)
 場所(国名) ウィーン(オーストリア)
概    要 古代ローマ時代からの歴史を持ち、その旧市街には様々な時代に立てられた様々な建築様式の建造物群が現存する。

ウィーン歴史地区(王宮)


神聖ローマ帝国の皇帝として中欧ヨーロッパを統べた、名門王家ハプスブルク家が最初の都と定めたことに始まります。現在のウィーン旧市街を取り囲む「リングシュトラーセ」と呼ばれる環状道路が出来たのは、19世紀末のことでした。この通り沿いには様々な歴史的建造物が立ち並び、建築様式のショーウィンドーと言われています。。
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 世界遺産名 ウィーン歴史地区(登録:2001年、文化遺産)
 場所(国名) ウィーン(オーストリア)
概    要 古代ローマ時代からの歴史を持ち、その旧市街には様々な時代に立てられた様々な建築様式の建造物群が現存する。

ツェツィーリエンホーフ宮殿


1914~17年皇太子ヴィルヘルムとその妻のためにユングフォーン湖畔に建てられた宮殿。ポツダム会議の会場としてしられ、会議を開いた部屋は当時のまま保存されて博物館として公開されている。
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 世界遺産名 ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群(登録:1990年、文化遺産)
 場所(国名) ポツダム(ドイツ)
概    要 ドイツのポツダムとベルリンにある複数の旧宮殿建造物とその付属庭園(公園)

サンスーシー宮殿


フリードリヒだいおうのベルリンの喧騒を離れて安らぎたいという願いから1747年に建てられた小さな宮殿。29K㎡もの広大な庭園には。他にもバロック様式の新宮殿などいくつかの離宮が建てられている。
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 世界遺産名 ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群(登録:1990年、文化遺産)
 場所(国名) ポツダム(ドイツ)
概    要 ドイツのポツダムとベルリンにある複数の旧宮殿建造物とその付属庭園(公園)

ドブロヴニク旧市街


約2kmにわたってオレンジ屋根の家々を取り囲んでいる、高さ25m、厚さ6mの堅牢な白の城壁。アドリア海の真珠と呼ばれヴェネチア共和国と覇権を争った海洋都市。
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 世界遺産名 ドブロヴニク旧市街(登録:1979年 拡張:1994年、文化遺産)
 場所(国名) ドブロヴニク旧市街(クロアチア)
概    要 アドリア海の真珠といわれる海洋都市

プリトヴィッチェ湖群国立公園


ザグレブとザダルのほぼ中間にある。16の湖があるクロアチアを代表する景勝地で、総面積200平方Kmの国立公園。深い森に映えるエメラルドグリーンの湖と、湖と湖を結ぶ滝が最大の見所。
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 世界遺産名 プリトヴィッチェ湖群国立公園(登録:1979年 拡張:2000年、自然遺産)
 場所(国名) プリトヴィッチェ(クロアチア)
概    要 16の湖があるクロアチアを代表する景勝地。

古都トロギール


紀元前3世紀にできたギリシャ人植民都市が町の始まり。11世紀には司教区ができ、ハンガリー王の支配下に入るが、自治権をもつ都市として繁栄した。その後は1420年から1797年までヴェネツィア、19世紀にはハプスブルグ家に支配された。
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 世界遺産名 古都トロギール(1997年、文化遺産)
 場所(国名) トロギール(クロアチア)
概    要 紀元前3世紀にできたギリシャ人植民都市が始まり

スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿


アドリア海沿岸の中心都市でクロアチア第2の都市。293年にデオクレティアヌス帝が神殿をたてたところの近くにあった主要都市サロナが異民族の侵入により放棄され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが町の始まり。12世紀~13世紀には自治都市として繁栄し、その後ヴェネツィアの支配下にはいった。
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 世界遺産名 スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿(1979年、文化遺産)
 場所(国名) スプリット(クロアチア)
概    要 アドリア海沿岸の中心都市でディオクレティアヌス宮殿と史跡群

アクロポリスの丘


経済の行き詰まったギリシャでは国民の不満も多く、ストが頻繁に行われていて、朝一番の情報では、「アクロポリスの丘」が閉鎖との情報が入り、心配したが途中で閉鎖解除の連絡が入り、無事にに「アクアポリスの丘」見学ができた。 「アクロポリスの丘」の上に立つ古代遺跡、「パルテノン神殿」は修復中で、クレーンや作業機械などがあり期待が少々外れた、完全に修復完了は56年後とのことで、完全な姿は一生涯見られない であろう、出来る限りクレーンが見えない角度から写真を撮影しました。丘の上は観光客だらけで、足元の大理石の岩はつるつるで滑りやすく、暑さには少々参りました。しかし、女神 「アテナイ」を祀った世界遺産の神殿は魅力的で、写真撮影には力が入りました。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 アテネのアクロポリスの丘(1987年、文化遺産)
 場所(国名) ピレウス(ギリシャ)
概    要 パルテノン神殿

ロードスの中世都市


紀元前408年にリンドス、イアリソス、カミロスの3つの都市が合併し建設された長い歴史を持つ中世都市で、高くて厚い城壁で囲まれ、城壁内は中世そのままの街並みを残しています。1988年には世界遺産に登録されています。港の入口に建てられた「ロードス島の巨像」は、かつて世界の七不思議に数えられましたが今は現存しません。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ロードスの中世都市(1988年、文化遺産)
 場所(国名) ロードス島(ギリシャ)
概    要 聖ヨハネ騎士団が築いた城塞都市。

アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群


 ローマ以来の由緒ある歴史と画家ゴッホが2年間を過ごしたことで知られるアルルの街を散策する。最初に、ゴッホの「アルルの跳ね橋」に描かれた橋を見学、町中にあったが火災で焼失し、郊外に復元したものでした。市内の歴史のあるホテルで昼食を食べ市内散策へ、ゴッホの縁の場所「夜のカフェテラス」のモデルのカフェ、ゴッホが入院していた病 院等を見学、そして推定紀元前1世紀に建造された世界遺産の闘技場、現在も使われている、驚きであり、素晴らしい風景 を撮影することに夢中になりました。
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 世界遺産名 アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(1981年、文化遺産)
 場所(国名) アルル(フランス)
概    要  古代ローマ時代にはプロヴァンスの大都市として繁栄した。

タルシーン神殿(マルタの巨石神殿群)


タルシーン神殿は紀元前3600-2500年頃の建造で、4つの巨石構造から成り、マルタの全ての神殿の中でも最も複雑なものです。神殿はその複雑な彫刻で有名であり、螺旋や他の模様で飾られ、家畜が彫られたレリーフ、祭壇や衝立などがあります。写真の対象としては、巨石ばかりでいいショットを望むことはできませんでした。お天気は最高でした。 LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 マルタの巨石神殿群・タルシーン神殿(1980年、文化遺産)
 場所(国名) バレッタ(マルタ)
概    要 有名なギザのピラミッドよりも500年から1000年も古い 。

バレッタ市街


古代の遺跡が数多く残るマルタ島。海中に眠る遺跡などから、ここはかって海底に沈んだ都市、アトランティスの伝説も残っています。首都のバレッタは、ルネッサンスの理想都市として名高く、考古学的な遺産が多く残るところから宮殿の都とも呼ばれ、「マルタストーン」というハチミツ色の石灰岩で作られた町並みが地中海の日差しを浴びて輝く美しい都市です。午前中最初に、マルタ騎士団の守護聖人である聖ヨハネに捧げられた教会、聖ヨハネ准市准司教座教会を見学、次に、1547年完成した、騎士団長の宮殿(現在の大統領府、議会)を見学、鎧に囲まれた荘厳な宮殿でした。次に、アッパーバラッカ庭園に、庭園から飛鳥Ⅱを見下ろしました。次の見学地セングレアそしてアヴィトリーオーザを見学、飛鳥Ⅱの停泊場所を反対側から眺望する。アヴィトリーオーザの古い町並みを散策、趣きのある町並みに感動し写真を撮りまくる。ヨットハーバーも沢山の船が停泊し、素晴らしい景観でした。最後に、第1時世界大戦で、勇敢に活躍し、戦死した日本軍人の墓地をお参りし、飛鳥Ⅱに帰船しました。 LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 バレッタ市街(1980年、文化遺産)
 場所(国名) バレッタ(マルタ)
概    要 悠久の歴史を紡ぐ 聖ヨハネ騎士団の町。

ナポリ歴史地区


「ナポリを見て死ね!」の名言で有名な南イタリア最大の都市・ナポリ。数多くの世界遺産が建つこの町は、輝く太陽・陽気な人々・温暖な気候など、イタリアのイメージを凝縮したような魅力溢れるスポット。ルネッサンス様式の華麗なヌオーヴォ城、スペイン統治下に建てられた王宮、絵葉書のように美しいサンタ・ルチアの海と卵城、情緒溢れる下町・スパッカ・ナポリなど、歴史的な建物が目白押しの世界遺産・ナポリ歴史地区。 LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ナポリ歴史地区
 場所(国名) ナポリ(イタリア)
概    要 13世紀ナポリ王カルロス1世が建築した。

ポンペイ遺跡


ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡は、古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える貴重な遺跡です。西暦79年8月24日、ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山が大噴火すると、南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまいました。その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、古代都市の様子がまるで時が止まったかのように出現しました。当時の人々の高い生活水準に驚きを感じました。晴天で青空にベスビオス火山が栄え、遺跡とマッチして絶好の撮影環境でした。遺跡内はナポリ港に沢山の大型客船が停泊中とあって、観光客でごった返していました。 LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ポンペイ遺跡(1997年、文化遺産)
 場所(国名) ポンペイ(イタリア)
概    要 79年のベスビオ火山噴火による火山灰で地中に埋もれた

ストロンボリ島(エオリア諸島)


世界遺産の「エオリア諸島」中の一つ「ストロンボリ島 」に接近、船長の計らいで島を一周した。活火山のこの島は、現在も噴煙を上げ、夜間の船舶の通過時には山頂の溶岩が赤く見えるそうです。表側は小さな港があり集落が見えましたが、反対側は溶岩流が流れ落ちるすさまじい光景でした、山頂から白い噴煙が上がり、山腹から海面は溶岩流の黄色い煙が上がり、活火山の凄まじい様相をしていました。島を一周して元の航路に入ると、2隻のヨットに遭遇、船長からの放送で、ドイツ船籍のヨットと案内がありました。 LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 エオリア諸島・ストロンボリ島(2000年、自然遺産)
 場所(国名) ストロンボリ島(イタリア)
概    要 ストロンボリは間欠的な激しい噴火を示す火山

アマルフィ海岸


複雑に入り組んだ海岸線と、断崖にへばり付くように立つ家並みが創り出す景観が世界遺産に登録されている。眼下にポジターノの街を望む展望ポイントで写真休憩コバルトブルーの海と碧い空、カラフルな家々が段々に並ぶ景観は素敵でした。昼に、アマルフィに到着、ホテルで昼食のイタリア料理を食べた後、アマルフィの町並みを散策、中世にベニスやジェノバと並ぶ海岸都市国家として栄えた町並みは伝統と風格を感じ、集合時間を忘れて撮影に没頭しました。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 アマルフィ海岸(1997年、文化遺産)
 場所(国名) ナポリ(イタリア)
概    要 最も早く貿易海洋都市として栄えた。歴史ある古都である。

アントニ・ガウディの作品群


、ガウディの作品を見て回る。グエル公園、やサグラダファミリア教会、カサ・ミラ、カサ・バトリヨと見学、特異なデザインの建築物に驚きを感じながら写真撮影。。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 アントニ・ガウディの作品群(1984年、文化遺産)
 場所(国名) バルセロナ(スペイン)
概    要 グエル公園、サグラダファミリア、カサ・ミラ他。

シントラの文化的景観


14世紀の初めにエンリケ航海王子の父が建てた王宮で、べナ宮殿とともに「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録されています。シントラ山脈の標高207mの高台にある町は、緑豊かな美しい自然とイスラム教徒が残した城跡や泉など、さまざまな建築様式渾然一体となった建造物の織り成す景観が、ヨーロッパの景観設計に多大な影響を及ぼしたとして世界遺産に登録されました。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 シントラの文化的景観(1995年、文化遺産)
 場所(国名) シントラ(ポルトガル)
概    要 アズレージョを施した部屋やイスラム風の造りの礼拝堂

リスボンのジェロニモ修道院とベレンの塔


エンリケ航海王子の奨励で始まる海外進出はポルトガルをヨーロッパ最大の貿易国に発展させた。貿易の富は、マヌエル1世の時代にマヌエル様式と呼ばれる独自の建築様式となって花開く。ジェロニモス修道院は、大航海時代のエンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマの偉業をたたえるため、16世紀初頭、マヌエル1世によって建造された。ベレンの塔は、バスコ・ダ・ガマのインド航路発見の偉業をたたえて建てられた石造りの塔。テージョ河の河口にあり、リスボン港に出入りする船を監視する要塞としての役割も果たしていた。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 リスボンのジェロニモ修道院とベレンの塔(1995年、文化遺産)
 場所(国名) リスボン(ポルトガル)
概    要 テージョ河の河口にあり大航海時代の象徴。

メンフィスとその墓地遺跡


3大ピラミッドとスフインクスを見学、市街地からの近さに驚いた、ピラミッドは期待通りの景観でした。次に、エジプト最古の階段状のサッカラピラミッドを見学。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 カイロ歴史地区(1979年、文化遺産)
 場所(国名) カイロ(エジプト・アラブ共和国)
概    要 ギザの三大ピラミッド、スフインクス、サッカラのピラミッド。

サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ


サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、アフリカ沖の大西洋上にある7つの島からなるカナリア諸島のテネリフェ島の北東にある。サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、1497年に湖岸につくられた歴史的に由緒のある町で、何世紀にもわたって、テネリフェ島の政治、軍事、そして、宗教、文化の中心都市として重要な役割を果たした。16~18世紀にかけて、広い街路やオープン・スペースに、荘厳で芸術的なサン・フランシス教会、クリスト・デ・ラ・ラグーナ教会、サンタ・カタリナ修道院などの教会、美しいタウン・ホールなどの公共建築写真の撮影ポイントとしては最適です。
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 世界遺産名 サン・クリスバル・デ・ラ・ラグーナ(1999年、文化遺産)
 場所(国名) テネリフェ島(スペイン領カナリア諸島)
概    要 スペインが新世界で築いた最初の非要塞型都市。

マデイラ島の照葉樹林


580mの断崖から垂直に切り立つジオラン岬の展望台からの眺めは、美しい海の景色とオレンジの屋根が美しい市街地の遠望が素晴らしかった。残念ながら少し曇っていて霞がかかっていた。世界遺産「ラウリシルヴァ(照葉樹林)」、古代熱帯森林が残るマデイラ諸島は、マデイラ島、ポルト・サント島と無人のデゼルタス島、セルヴァジェンス島からなる4つの島々。中でも南国情緒溢れるマデイラ島は、多くの照葉樹林が残っているが近年に移植されたユウカリによって影響を受けているとのことでした。正式には「遺存型照葉樹林」と呼ばれている。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 マデイラ島の照葉樹林(1999年、自然遺産)
 場所(国名) マデイラ島(ポルトガル)
概    要 ラウリシルヴァ(月桂樹林)の原生林。

イスタンブールの歴史地区


アヤソフィア博物館と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つ スルタンアフメット・モスク ですアフメット1世により1609年に造営が始まり、1616年に完成した。建築家メフメットによって建てられたこのモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、ブルーモスク という名で広く知られています。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 イスタンブールの歴史地区(1985年、文化遺産)
 場所(国名) イスタンブール(トルコ)
概    要 イスタンブールのの旧市街にある歴史的建造物群。

カッパドキア


カッパドキアは、自然が生み出した最も奇抜で不思議な景観を呈しています。これらの地域は、何百万年という時の流れの中で、風変わりな地形へと変化しました。幽霊の出そうな“妖精の煙突”、地下何メートルもの深さに広がっている都市や教会などのすべてが、この世のものとは思えない現実離れした雰囲気に包まれています。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 カッパドキアの岩窟群(1985年、複合遺産)
 場所(国名) アンカラ(トルコ)
概    要 アンカラの南東にあるアナロリア高原の火山によってできた大地をいう。

トロイの古代遺跡


ホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説上の都市と信じられていたトロイ、これを実在の都市と信じていたドイツの考古学者シュリーマンが資材を投げうって発掘を続け。1870年ついに遺跡を発掘した。この地に初めて集落ができたのは紀元前3000年ごろ。そのご繁栄と没落が繰り返され、400年までの間に9つの時代の都市層が重なり合った。そのため、第1~9市時代のものが混在するという複雑な形成になっちる。シュリーマンが発見してドイツに持ち帰ったという財宝はすべて消息不明のままです。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 トロイの古代遺跡(1998年、文化遺産)
 場所(国名) アナトリア半島(トルコ)
概    要 ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘された古代遺跡

ヒエラポリス‐パムッカレ


パムッカレは世界的のまれに見る自然の驚異です。地面から湧き出た石灰成分を含む摂氏35度の温泉水が100メートルの高さから山肌を流れ、無数のプールを作っています。温泉水がプールから溢れ出て、クリーム色の鍾乳石が形成され、世界に二つとない息をのむような景観が作り上げられました。綿や雪にも似たこの光輝く幻想的な城(「綿の城」とも呼ばれる)を作り上げたのは、まさにこの温泉水なのです。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ヒエラポリスパムッカレ(1988年、複合遺産)
 場所(国名) デニズリ県(トルコ)
概    要 石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、2世紀頃、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在した。

リガ歴史地区


ラトビアの首都でバルト三国最大の都市、重要な港町としてとして繁栄している。歴史が古く博物館や記念碑など多くの見所がある。古都リガの至宝ともいわれたドム大聖堂、中世の名塔を誇る聖ペテロ寺院、ただ一つ残るかっての城門、ウエーデン門などがその代表。
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 世界遺産名 リガ歴史地区(1997年、文化遺産)
 場所(国名) リガ(ラトビア)
概    要 バルト海の真珠と讃えられる美しい港町でアールヌーボ調の建築物の宝庫。

ヴィリニュス歴史地区


リトアニアの首都で、政治、経済、文化、交通の中心地、第一次大戦以降争奪地となった、典型的なカトリックの町でドイツ的な要素が強いタリンやリガとは異なる、のどかな雰囲気がある。2000以上の彫刻が飾られていた聖ペテロ・パウロ教会、ビリニュス最古の聖カジミエール教会などが見所。リトアニアの首都で、政治、経済、文化、交通の中心地、第一次大戦以降争奪地となった、典型的なカトリックの町でドイツ的な要素が強いタリンやリガとは異なる、のどかな雰囲気がある。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名 ヴィリニュス歴史地区(1994年、文化遺産)
 場所(国名) ヴィリニュス(リトアニア)
概    要 13~18世紀に東西交易の中継地として繁栄した都市。

タリン歴史地区


 バルト海に面するエストニアの首都。1219年、デンマーク王バルデマー2世が築いた「トームペア城」を中心に広がる旧市街は、中世を思わせる街並み。13世紀建造の聖ニコライ教会など歴史的建造物をはじめ、一般の農家や郊外の納屋などにも当時のまま残っているものが多く、この一帯は「タリン歴史地区」として1997年に世界遺産に登録された。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名 タリン歴史地区(1997年、文化遺産)
 場所(国名) タリン(エストニア)
概    要 エストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産。

ヨセミテ国立公園


サンフランシスコから東へ、320kmのヨセミテ国立公園へ、カリフォルニアの広大な農業地帯や、シエラ山脈の景色を見ながら片道4時間かけて向かう、途中サンフランシスコを出て町外れに 、すごい数の風力発電の風車が有った、感動的な風景でした。ヨセミテ国立公園には、トンネルビューを見学後、お昼に到着、食事後滝つぼを見学、 氷河の浸食作用によって造られた雄大な自然の造形美や、迫力ある景観のセミテ公園の中を散策。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ヨセミテ国立公園(1984年、自然遺産)
 場所(国名) カリフォルニア州(アメリカ)
概    要 氷河の浸食作用で造られた雄大な自然景観

自由の女神像


2010年6月3日早朝、霧の中をハドソン川に入り世界遺産の自由の女神像が左舷側に見えるころ霧が晴れてきた。飛鳥Ⅱは、ニューヨーク港ピア90に午前7時に着岸しました。。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 自由の女神像(1984年、文化遺産)
 場所(国名) ニューヨーク州(アメリカ)
概    要 独立100周年を記念してフランス人の募金で贈呈された

メンデンホール氷河・グレーシャーベイ国立公園


ジュノーの街から北へ21kmに位置し、ジュノー氷原を源とする全長約19km、幅約2.4kmの氷河でジュノーの顔と呼ばれています。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 グレーシャーベイ国立公園(1979年、自然遺産)
 場所(国名) アラスカ州(アメリカ)
概    要 ジュノーの街から北へ21kmに位置し、ジュノー氷原を源とする全長約19km、幅約2.4kmの氷河。

ハバード氷河・グレーシャーベイ国立公園


氷河の近くは崩れ落ちた氷河の破片と氷で、接近できない青く輝く氷河と、残雪の残った山の風景は絶景でした。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 グレーシャーベイ国立公園(1979年、自然遺産)
 場所(国名) アラスカ州(アメリカ)
概    要 雪をかぶった高山からグレイシャー湾に降りてくる氷河は、世界で最も壮大な氷と氷山が織りなす風景。

ハーバード氷河・グレーシャーベイ国立公園


プリンスウイリアム湾内をクルーズ、東と北をチュガッチ山脈に、西をキーナイ半島に、囲まれた湾内です。湾内には様々な氷河が存在します、青く透明なその輝きは「グレイーシャー・ブルー」と呼ばれます。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 グレーシャーベイ国立公園(1979年、自然遺産)
 場所(国名) アラスカ州(アメリカ)
概    要 湾内には様々な氷河が存在します、青く透明なその輝きは「グレイーシャー・ブルー」と呼ばれます。

ブラックストーンベイ・グレーシャーベイ国立公園


グレーシャー国立公園内の湾内に入る船の数は制限されていて公園内の環境に配慮されている。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 グレーシャーベイ国立公園(1979年、自然遺産)
 場所(国名) アラスカ州(アメリカ)
概    要 湾内には様々な氷河が存在します、青く透明なその輝きは「グレイーシャー・ブルー」と呼ばれます。

エグジット氷河・グレーシャーベイ国立公園


雄大なエグジット氷河を見学片道500mの緩やかな傾斜の森の中を抜けて氷河の間近まで歩きました。天候もよく最高の眺めでした。森の中には時折珍しい、花々にも出会いました。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 エグジット氷河・グレーシャーベイ国立公園(1979年、自然遺産)
 場所(国名) アラスカ州(アメリカ)
概    要 スワードの町から西へ15マイル(約24km)の地点にあります。

カナディアンロッキー山脈自然公園群


カナダを代表する世界遺産「カナディアン・ロッキー山脈自然公園群」。かつて先住民たちが「光り輝く山々」と呼んだロッキー山脈は3000km級の峰が連なり、太古と変わらず美しい氷河が生み出した奇跡の絶景が広がります。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 カナディアン・ロッキー山脈自然公園群(登録:1984年、自然遺産)
 場所(国名) ブリティッシュ・コロンビア州(カナダ)
概    要 3,000 メートル級の山々がいだく氷河、美しい氷河湖、滝、渓谷、等。

プエルトリコのラ・フォルタレサとサンファン歴史地区


大アンティル諸島の再東端に位置する、アメリカ自治領プエリト・リコ、サンファン、海と入江と湖に挟まれた長細い街で、アメリカ領らしい近代的なリゾート地のニュー・サンファンと、スペイン統治時代の面影の残る、歴史的な旧市街のオールド・サンファンと、二つの顔を楽しめる街です。オールド・サンファンの町並みは、「ラ・フォタレサとプエリトリコのサンファン歴史地区 」として世界遺産に登録されています。。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 プエルトリコのラ・フォルタレサとサンファン歴史地区 -(1983年、文化遺産)
 場所(国名) プエルトリコ(アメリカ)
概    要 市街地を防衛するための要塞の役割で建設された

エル・モロ要塞・サンファン歴史地区


海から43mの高さに築かれた砦。1539年に着工し、1783年に完成した。当時の石積み跡が残る貴重な遺構として世界遺産に登録されている。スペイン統治時代、海賊や、オランダ、イギリスからこの植民地を守るために築かれた砦で、半島をぐるっと囲うものだったそうです。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 エル・モロ要塞・サンファン歴史地区 -(1983年、文化遺産)
 場所(国名) プエルトリコ(アメリカ)
概    要 海から43mの高さに築かれた砦。

キュラソー島の港町ヴィレムスタッド歴史地域


ブンダ地区とオトロバンダ地区で「ウィレムスタード歴史地区」として世界遺産に指定されています。ふたつの地域は橋でつながっていて、船が来ると鐘が鳴り船の上に乗った橋が回転して、船を通行させます。オランダ領ゆえに、オランダ様式の面影を残したパステルカラーのアンティークで可愛らしい町並みでした。。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ウィレムスタード歴史地区歴史地域 - (1997年、文化遺産)
 場所(国名) キュラソー島(オランダ領)
概    要 パステルカラーの美しい家並み

古代都市ポロンナルワ


10世紀末に、シンハラ王朝によりアヌラダープラからポロンナルワに遷都され、以後14世紀頃まで栄えていた。ポロンナルワ遺跡は、およそ122ヘクタールの面積に、仏教国ながらもヒンズーの建築様式の影響を受けたとされる多くの記念碑を残している。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名

古代都市ポロンナルワ(文化遺産1982年)

 場所(国名) スリランカ
概        要 シンハラ王朝によりアヌラダープラからポロンナルワに遷都され、以後14世紀頃まで栄えていた。

ダンブッラの黄金寺院


スリランカのほぼ中央部に位置するダンブッラの黄金寺院はスリランカにおける最大の仏教の石窟寺院で岩山の中腹にある石窟には、シンハラ王朝時代の紀元前1世紀頃から始まり(タミール軍勢力との抗争の勝利を記念して作られたと伝えられている)、以後何世紀もの間、増改築を重ねた100体を優に超す仏像が彫られている。。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名

ダンブッラの黄金寺院(文化遺産1991年)

 場所(国名) スリランカ
概        要 スリランカにおける最大の仏教の石窟寺院で岩山の中腹にある。

聖地キャンディ


シンハラ朝の最後の都キャンディは16世紀後半に成立し、イギリスによって植民地にされた1815年までの間、スリランカ・シンハラ王朝の首都であった。ゴータマ・シッダッタ(仏陀)の左の犬歯があるダラダー・マーリガーワ寺院、仏歯寺が有名。また毎年7月に行われるペラヘラ祭りは有名詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名

聖地キャンディ(文化遺産1988年)

 場所(国名) スリランカ
概        要 スリランカ・シンハラ王朝の首都であった。

ゴール旧市街とその要塞群


ゴール市街はセイロン島とも呼ばれるスリランカ南部のインド洋面し、島全体が強固な城壁で覆われている。中東諸国とインド及び中国を結ぶ「海のシルクロード」の拠点として古くから栄えていたゴールは16世紀の大航海時代以降、ヨーロッパ諸国(ポルトガル、オランダ、イギリス)のアジアにおける植民地支配の拠点が置かれ、貿易の要所ともなったためヨーロッパ風建築、教会が建ち並ぶ。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名

ゴール旧市街とその要塞群(文化遺産1988年)

 場所(国名) スリランカ
概        要 島全体が強固な城壁で覆われている城砦都市。

古代都市シーギリヤ


シギリヤ・ロックはスリランカのジャングルに存在する、高さ200mの岩山。かつてセイロンと呼ばれていた時代から仏教の僧侶の修行の場であったシギリヤ・ロックに描かれた美女の壁画群は、 通称シギリヤ・レディと呼ばれる。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名 古代都市シーギリヤ(1982年)
 場所(国名) スリランカ
概        要 シギリヤ・ロックはスリランカのジャングルに存在する、高さ200mの岩山。

聖地アヌラダープラの遺跡


アヌラダープラは古代のスリランカの文明の概要が推測できる、よく保存された遺跡で世界的に有名なスリランカの古代の首都。。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名 聖地アヌラダダブーラ(1982年)
 場所(国名) スリランカ
概        要 アヌラダープラで築かれた文明はアジアの、そして、世界でも偉大な古代文明の1つといわれる。

アル・バリード遺跡


アル=バリードは鉄器時代(紀元前1300年 - 前300年)に遡る港町の遺跡である。歴史的には様々な名前で呼ばれていた。西暦12世紀頃までは栄えていたため、中世のモスクの遺構なども発掘されている。世界遺産としての核心地域は 50 ha、緩衝地域は 48.200001 haである。詳細はこちらLinkIcon

 世界遺産名 アル・バリート遺跡(乳香の土地)
 場所(国名) サラーラ(オマーン)
概        要 紀元前から中世まで乳香貿易で栄えた都市の遺跡。

ハロン湾


ベトナム北部、中国との国境近くにあるハロン湾は、ベトナムきっての景勝地の一つです。海から突き出た無数の島影が、幻想的で迫力のある景観を造り出しています。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ハロン湾(1994年、自然遺産)
 場所(国名) トンキン湾(ベトナム)
概        要 彫刻作品のような島々の景観

ホイアンの古い街並み


チャンパ王国の昔からの交易都市として栄えたホイアンは、王朝遺跡とはまた違う趣のある古い木造家屋群が建ち並ぶ。LinkIcon詳細はこちら

 世界遺産名 ホイアンの古い街並み(1999年、文化遺産)
 場所(国名) ホイアン(ベトナム)
概        要 ベトナム中央の南シナ海の海岸にある木造家屋が立ち並ぶ古い街並み。

フエの建造物群・グエン朝王宮