熊川は、もともと戸数40ほどの小さな寒村であったという事です。室町時代に、戦略上の要地として足利将軍直属の武士、沼田氏が山城を構えたところであり、後に、豊臣秀吉の相婿でもあり秀吉に重用された浅野長政が、
小浜城主になった時に交通・軍事の要衝として、熊川に対し天象1589年に諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったのです。大陸文化の受け入れ口のひとつであった若狭地方。
宿場町の面影を残す熊川の町並み。 まちを通る若狭鯖街道は、日本海と京都を結んでいた。
この道を、多くの人や物、そして文化が行き交った。 昔の面影を残す趣のある街並みです。 |